◆これからの都市づくりと緑
横張 真 (東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授)市街地と農地が混在する日本
ヨーロッパの都市には、町を出るとすぐに林や森、あるいは農地が広がっているという特徴があります。パリ、ロンドン、ベルリンといった大都市でも、列車に乗って20分もすればいきなり町が途絶え、広大な農村地帯に出ます。 それに対して、町と農村が混在した空間が延々と続くのが日本の町の特徴です。先日、イギリス人の研究者と一緒に京都へ行ったのですが、新幹線に乗って1時間半、まもなく名古屋という頃になって「東京はいつ終わるんだ?」と聞かれました。こうした景観が延々と続くので、彼は東京がまだ続いていると思ったようです。
こうした両者の違いは、その歴史に起因します。城郭都市としての歴史をもつヨーロッパの都市は、かつての城壁あるいはお堀が市街地と周辺の田園地帯をくっきりと分けています。一方、江戸時代の絵図を見ると、屋敷林や神社仏閣の境内,斜面林,農地など様々な緑が描かれています。幕末の江戸はすでに人口100万人を超える世界最大の都市で、町民が住む町では現在の5~6倍という高い人口密度を維持しながら、市街地と農的な緑が混在するという様相を呈していたのです。
町中の農地が支えた江戸の町
そこでは、農地が江戸野菜の供給地としての機能を果たし、町中で発生する汚わいはすべて集められ、それが農地に還元されるというリサイクルシステムが確立されていました。幕末の江戸を訪れたイギリス人が、当時の江戸は驚異的に清潔であったと書いていますが、それはとりもなおさず、こうしたシステムに起因していたわけです。
わが国の都市計画は一貫して、こうした混在はよくない、ヨーロッパのように農地と市街地をきれいに分けるべきだとしてきました。1939年の東京緑地計画、1947年の戦災復興計画に描かれたグリーンベルトはまさにその象徴です。これらの計画は頓挫しましたが、舎人、水元、石神井、あるいは砧緑地といった公園が名残として残っています。こうした状況を、従来は都市計画の失敗だと評価していましたが、むしろ農地ないしは農的な緑と市街地の混在こそが、日本の町、東京の町を特徴付ける緑のあり方だと、私は考えています。
「緑被」と「緑視」という観点
緑を守っていくときに有効な指標に、「緑被率」と「緑視率」があります。「緑被率」とは一定面積中に緑が覆っている割合のことで、農地や里山のように、面としての広がりをもつ緑の保全をはかる際に重要な指標となります。一方「緑視率」とは、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、視野の中に占める緑の割合のことです。たとえば航空写真ではあまり緑が見えなくても、実際に町を歩いてみると豊かな緑が存在するというケースがあります。そうしたケースではしばしば、屋敷林や街路樹などのような点的・線的な緑によって緑視率が担保され、面としての広がりはなくとも、緑豊かな町並みが形成されている場合があります。 しかし、こうした緑視率でとらえられるタイプの緑はどんどん減っていて、わずかに残っているものも貧相な樹形に剪定されてしまっているのが実情です。こうした緑をどうやって保全していくかは、今後の東京の緑を考えていく上で、たいへん大きなテーマだと思います。
農的な緑がはたす役割と可能性
農的な緑に対して期待される役割には、美観の形成、レクリエーションの対象地といったアメニティにかかわるもの。農林産物の生産といった本来的な機能。さらには低環境負荷、すなわち都市の熱環境の改善や、CO2の排出削減、有機性廃棄物の循環利用などがあります。たとえば、市街地のなかに水田があると、その周囲の市街地においては、最大2度ぐらいの気温の低減効果が期待できます。
有機性廃棄物の循環利用をめぐっては、様々なバイオマスを、バイオエタノールに変換する技術も開発されつつあります。その際、バイオエタノールは燃料として活用し、バイオエタノールを生産する際に発生する残渣は肥料として農地や公園緑地に還元することも考えられます。千葉県柏市にある私どものキャンパスでも、市とタイアップして、地域内の有機性廃棄物を循環利用するシステムを構築するプロジェクトを進めています。